東京女子医科大学病院 家族支援専門看護師
藤井淳子

その人らしい生活ができる療養の場を決めるとき、患者さんと家族間、そして医療者との間で意向が異なると、退院調整部門の私たちは頭を悩ませます。

「意向」とは、どうするつもりかという考え。心の向かうところ。です。

今回は、退院調整部門で家族支援専門看護師をしている筆者から、家族看護の視点で患者さんを含めた家族みんなの意向が尊重された「これからの療養の場を決める」をテーマにお話したいと思います。

私たち退院調整部門で大切にしていることは、患者さん、家族だけではなく、病院の医師、看護師、地域の訪問診療医師、看護師、ケママネジャーの方々、全ての人が「安心で安全に安楽な生活を送れる療養の場」を調整することです。そのためには、退院調整看護師には、『「社会資源」の調整』と『「意向」の調整』の2つの力が必要だと感じています。

身寄りのない方の療養の場の支援は、お一人で暮らすため、家で何かあったらと、『「社会資源」の調整』は十分に配慮しないといけません。一方、『「意向」の調整』は、お一人であるからこそ、その方の意向に沿い支援をすることに私達の迷いはありません。では、同居、別居にかかわらず、患者さんを含めた家族のメンバーが多くいる場合はどうでしょうか。ここでの調整は、『「社会資源」の調整』よりも、まずは、『「意向」の調整』からです。なぜなら、登場人物が多ければ多いほど、それぞれが望む療養の場への意向はさまざまだからです。

―夫と妻の意向が異なる。―

足腰が弱くなり家で転倒を繰り返す患者さん。家族である妻は心配して、「もう家で過ごすのは難しい、施設を探そう」と提案します。しかし、患者さんは「自分は大丈夫、家に帰る」と話します。目の前には妻の心配そうな表情が見えます。

―母と長男と長女の意向が異なる。―

患者さんは「もうがん治療をやめたい、家に帰りたい」と話します。しかし、家族である長男は、「母さん、そんな弱気ではだめだよ。他の治療法も試してもらおう」と母を説得しています。長女は、「家は無理、ホスピスを探そう」と話します。次第に長男と長女は口もきかなくなり、目の前にはつらそうな母である患者さんがいます。


こんな風にみんなが望む「安心で安全に安楽な生活を送れる療養の場」への調整は一筋縄ではいきません。そこで、発揮するのが、前述した退院調整部門での「家族支援専門看護師」としての「家族看護の視点」です。

「家族看護の視点」とは、患者さんを含めた家族を“ひとまとまり”として捉え、家族全体をみていくということです。私たちは、目の前にいる人を「患者さん」、それ以外の方を「家族」と呼んでいます。ですが、その「家族」の中の一人も別の病院で治療を受けていれば、そちらでは「患者さん」と呼ばれています。患者さんと家族という区別は、私たち医療者の視点であるのです。家族の中の一人である家族メンバー(患者さん)が病気になり、入院し、そしてこれからの療養の場を決める。その影響は家族全体にかかわります。家族看護はこうした影響を受けながら、「家族が家族自身でそれぞれがもつ意向を知り、療養の場を家族が決める」力が発揮できるよう支援します。


では、その支援とは?まずは“療養の場を決めるとき、なぜ登場人物それぞれが望む意向が異なるのか”について考えてみましょう。ここでは、家族看護の視点の一つである、家族ストレス対処理論(ABCXモデル)<図1>1)について触れたいと思います。

(図1)

家族ストレス対処理論(ABCXモデル)は,ストレスとなる重大な出来事が生じた時に,患者を含めた家族が「家族の危機(X)」に陥るかどうかは、家族が出来事をどのように意味づけるか(C要因)や,家族がすでに持っている力,例えば良好な家族間のコミュニケーションや,周囲に助けを求める力,経済力など(B要因)と関連し合っていると説明しています。つまり,同じ出来事であっても,自分たちが持つ力や受けとめ方によって危機状態にならずに乗り越えられる家族もあれば,そうでない家族もいるということです。さらに、意味づけ(C要因)や、家族の力(B要因)は、家族メンバー個々によっても異なるのです。

 「これからの療養の場を決める」ことは、患者さんを含めた家族にとっての重大な出来事です。鳥の目で家族全体を捉え、家族全体はどんな力をもっているのかを眺めます。そして、虫の目をもち、ぐっと家族メンバー個々に寄り、目の前の状況を家族メンバー個々はどう意味づけているのかを捉えます。

前述した「患者さんである夫と妻の意向が異なる」例です。

足腰が弱くなり家で転倒を繰り返す患者さん。家族である妻は心配して、「もう家で過ごすのは難しい、施設を探そう」と提案します。しかし、患者さんは「自分は大丈夫、家に帰る」と話します。目の前には妻の心配そうな表情が見えます。


退院調整の面談の実際です。まず、患者さんと妻に「今までのご家族の生活はどんな感じだったのですか」と家族が今まで乗り越えてきた家族の歴史を問います。次に、家族メンバー個々に視点をぐっと向け、問います。患者さんである夫には「家での生活も大丈夫と思ってらっしゃるんですね」と、そして、妻には「家に帰るのは心配なお気持ちなんですね」と、声を掛けました。たったその3言です。今の目の前にある、療養の場を決めなくてはいけないストレス源から、患者さん、妻の個々の認知、そして家族の資源が見えてきました(表1)。そして、家族の力が見えてきました。「60年、互いに支えあってこられたご家族なんですね」と伝え、20分程度の面談でした。面談後、妻から夫に優しく声を掛けられていました。「もう少し家で過ごしてみましょうかね。でも、デイサービスにも行きましょうね」と、話しているご家族が目の前にいました。

(表1)

家族ストレス源
(A)
患者さん家でも大丈夫なのになんで施設なんていうんだ
本人が提案も聞き入れてくれない
家族の資源
(B)
 ・亭主関白で過ごしてきた60年間
・定年まで働いてきた
・子どもは自立
家族の認知
(C)
患者さん・自分の体は自分がよくわかっている
・施設なんてお金がかかるじゃないか
・家に帰ったらリハビリして足腰を鍛えようと思っている
・定年後は夫婦でゆっくり旅行でもしたいと思っている
・一生懸命、家族のために働いてきてくれた夫、ゆっくり楽しく過ごしてほしい
・古い家だし、転倒してけがでもしたら大切な時間が過ごせない
・夫が働いてきたお金なんだから、夫のために使いたい

「家か?施設か?」の二者選択には、家族の歴史や家族を思いあっているからこそ、の背景があります。『「意向」の調整』は、退院調整部門の私達が、代弁したり、説得し、調整することではありません。問いかける人がいて、家族それぞれの認知をそれぞれが発する「言葉」を聞き、互いに知る。そして、今までの家族の資源を「家族の力」として伝える。日本の文化には、「阿吽(あうん)の呼吸」、「察する」があります。つまり、「一つひとつを言葉にすべて出さず、空気の中で感じる」コミュニケーションパターンです。これは、日本人が世界から魅了される文化でもあります。しかし、ストレスとなる重大な出来事が生じたとき、 家族メンバー個々が、何を感じ、どう意味づけしているのかを「言葉」にし、互いを知ることは何よりも重要だと考えます。なぜなら、家族は「互いを思いあっている」のです。思いあっているからこそ、目の前の状況への意味づけが、それぞれにほんの少し違うとき、意向が異なる難しい退院調整の場面があらわれます。退院調整部門で家族支援専門看護師として働き、年間200~300件ほどの調整をしている現場での実感です。

家族看護には、「ナラティブ・アプローチ/社会構成主義」という考え方があります。これは、人は客観的事実の世界に生きているのではなく、自らが意味づけた世界に生きていると考えます。 そして自らや環境に意味を与え、それを物語として再構成し、それに基づいて人生を歩んでいきます。その物語は、人々の間で「言葉」を介して影響を受け、変わりうるものであると捉えます。


「いい人生だったかどうか」と問い、「あんなこともあって、こんなこともあっていい人生だったよ」と、対話がその人の人生の物語を作ります。今まで家族はどんなことを乗り越え、今、何を感じ、これからどんな生活や人生を送っていきたいのか、家族の歴史から問う。そんな対話自体が、患者さんを含めた家族みんなの意向が尊重された『これからの療養の場を決める』過程につながっています。


参考文献

1)Hill, R., 1958, “Generic features of families under stress,” Social Casework, 39:139-150.