河野秀一

看仏連携研究会 代表
関東学院大学 大学院看護学研究科 非常勤講師
一般社団法人 日本看護管理学会 評議員
臨済宗妙心寺派 嵩岳山 少林寺 閑栖住職

今の医療界は、地域包括ケアシステムに大きく舵を切っています。これは、まさにパラダイムシフトであり、ケアに関する見方・考え方もこれまでと全く異なる視点でとらえなければならないことを意味します。地域包括ケアシステムにおいては、これまで以上に多職種・地域と連携が求められているのは、皆さんご存じの通りです。病院から在宅へという変化は、これまでの延長線上で考える連携ではなく、新たな枠組みを取り入れないと立ち行かない変化であり、現場においては、連携に大きな変革が求められるのです。

今回、考えていただきたいのは、多職種の中に死の専門職としての「僧侶」を、そして地域に昔から存在するコミュニティ資源としての「寺院」を加えて、新たな「多職種連携」「地域連携」、すなわち「看仏連携」です。地域包括ケアシステムが進めば進むほど、看取りケア、グリーフケア、スピリチュアルケアのニーズが高まります。ACPや意思決定支援など、終生期においては、地域においても新たな専門職・資源を投入しないと質の高いエンドオブライフケアが出来ていかないのではないか、と考えます。

かくいう私自身、臨済宗妙心寺派の寺院の長男に生まれ、僧侶の資格を有し、住職の経験もあります。一方で、各都道府県の看護協会や大学、病院などで看護管理者教育もさせていただいています。最近では株式会社やさしい手さんとのご縁から、「地域連携・退院支援研究会」「在宅継続研究会」のコーディネーターもさせていただいています。僧侶の視点から看護管理者の思いをくみ取り、退院支援や地域での看護管理の現場の様子をお聞きしそのニーズを感じ取り、このたび看仏連携研究会を立ち上げたところでもあります。

10年ほど前から、臨床宗教師や臨床仏教師という資格制度が始まっており、患者さん・ご利用者やご家族に寄り添う僧侶を養成しています。また、2020年には、寺院が運営する訪問看護ステーションも大阪で2軒立ち上がりました。さらに、大阪府看護協会と鹿児島県看護協会では「まちの保健室」を寺院で開催するという取り組みもなされています。これらの事例から、皆さんが看仏連携を考えるきっかけとなることを心より期待します。そして、行動につなげ一緒にこの連携を成し遂げたいと思います。「看仏」としていますが、キリスト教に代表される仏教以外の宗教もあります。本稿においては、寺院の数から代表して日本の伝統仏教を中心に書いていきますが、もちろん、看仏連携の考え方はどの宗教であっても同じであることを、誤解なきようお伝え申し上げます。


1.地域包括ケアシステムにおける看仏連携のニーズ

ケアをする様子

まず、仏教の歴史を紐解きましょう。日本において仏教を広めたとされる聖徳太子は、大阪に建立した四天王寺において、四箇院の制を敷いたとされています。 四箇院とは、敬田院、療病院、施薬院、悲田院の4 つのことで、敬田院は今の寺院、療病院は病院、施薬院は薬局、悲田院は社会福祉施設にあたります。このように、聖徳太子は、寺院と病院とを同じ敷地に整備したわけであり、寺院と病院は、もともとはルーツが同じだったといえます。

先に述べましたとおり、「地域包括ケアシステム」は、それまでの医療モデルから生活モデルへと、枠組みが大きく変化し、ケアの視点が、「治す」から「支える」に変わったことを意味します。高齢多死社会における「病院から在宅へ」の変化は、主な看取りの場が在宅・地域に移動したともいえるのです。日本における看取りは、地域の死生観と密接にかかわる文化です。しかし、戦後、医療の発展とともに病院で亡くなる方が増え、現在に至るまでずっと病院死がメインです。しかし、これからは地域包括ケアシステムの進展とともに、すでにその兆候は見られますが、病院以外、すなわち地域の施設やご自宅で亡くなる人が増えていきます。今後は、病院死が減り在宅死が増えていくことが、確実に予想されるのです。この変化を私たちはしっかりと心に刻む必要があります。このことは、在宅、地域において、患者さん・利用者さんとそのご家族に対して、医療・介護関係者が「死」について連携を取らなければいけなくなった、ことを表しているのです。

今の医療・介護従事者は、専門職として働き始めてずっと「病院死」が中心であったため、在宅での看取りに対する不安が大きいことが予想されます。実際、亡くなったご家族にどのような言葉かけをしたら良いかがわからない、という声はよく聞きます。地域でのシームレスな連携は、終生期においては、看取り・グリーフケアの連携という形で、「死」の臨床現場でも求められるのです。

過日、看護系の教員から聞いた話ですが、「今の看護学生の中には、いまだかつて葬式に出たことがないという学生が多くいる」とのことです。平均寿命が伸び、20歳前後の学生の祖父母はまだ元気な方が多いはずです。また都会のマンション住まいですと、近所つきあいも希薄なことが多く、よほどの関係でない限り、葬儀に参列することはまれかもしれません。このように現代人は「身近な人の死」「葬儀」に関して経験が少なく、家族はもちろん命を預かる看護師ですらも看取りに不安を持った時代なのです。地域包括ケアシステムにおいては、ACPの進展が求められますが、その過程において、地域でどうやって看取りで多職種連携していくかが医療・介護職の大きな課題として存在するのです。  実は寺院の数は全国で約77,000あります。これはコンビニエンスストアの店舗数以上の数字です。考えてみれば、コンビニは都心に多いですが、地方へ行くと少なくなり偏在しています。一方、地域には必ず寺院があり、僧侶がいるのです。死の専門職ともいえる僧侶は、人が亡くなったあと、通夜や葬儀などのさまざまな儀礼を施行し、死者を弔い、遺族をケア(グリーフケア)します。看護師・介護士は、患者・ご利用者が亡くなるまでご本人及びご家族のケア(身体的ケア・精神的ケア・スピリチュアルケア)を行い、看取り後のエンゼルケアまで関ります。病院死であれば、患者の死亡の後、遺体搬送という明確な切れ目があったものが、在宅や地域での死になると、グリーフケア・エンゼルケア・スピリチュアルケアと切れ目なく連続的なケアが求められるのです。ここに、看取り時における連携という問題、課題が生じるのです。まさに、看護師・介護士と僧侶との連携、地域における看仏連携のニーズが生まれるのです。


2.看護師・介護士と僧侶・寺院との連携と協働

アンケートの様子

地域にある寺院は社会資源であり、地域住民のコミュニティの場として活用可能です。そもそもお寺とは人が集まる場であり、お盆やお彼岸だけでなく何かあれば「和尚に聞いてみよう」と、相談の場でもありました。寺子屋という言葉があるように、学びの場でもあります 。お寺によっては、幼稚園を併設しており、地域の子供たちが普通に境内で遊んだりしていました。しかし、いつのころからか、お寺は葬式だけを行う場所となってしまいました。

さらに、その葬式も専門の斎場で葬祭業者がリードする形となり、地域住民がお寺に足を入れることすらなくなってきています。地域との関係性が希薄になった現代、お坊さんがいないと葬式が出来ないため「お坊さん宅配サービス」という究極のサービスまで登場し、話題となったのは記憶に新しいと思います。それほど、寺院は地域と交わらなくなってしまったのです。かつて、NHKのクローズアップ現代で「住職は十職」と言ったのは、長野県の神宮寺前住職の高橋卓志さんです。仏教を学び、仏に仕える身であることで、僧侶はもちろん、時に教師であったり、カウンセラーであったり、町の相談役であったり、名づけ親だったりなどと十の役割を持ち、かつての住職は地域の総合プロデューサーだったのです。しかし、それを十分果たせていないのが、今の僧侶でもあります。

葬式仏教という言葉があるように、今でも日常的に多くの寺院は閉じており、「お寺は敷居が高い」と感じている方も多くいらっしゃいます。ただ、このことに気づいている寺院もあり、若手僧侶を中心に住民の意識を変えようと、カフェを開いたり、ヨガ、座禅会、写経会などのイベントを地域向けに開催しているところも増えてきました。私は、地域包括ケアシステムは、お寺にとっても地域での役割を果たせる良い機会と考えています。寺院での活動に終活やACPを取り込んでも良いわけで、長らく地域に根差しているお寺ならではの信頼感をもって、お寺という場が地域住民のコミュニティになりうるのです。

葬儀などの宗教的儀礼や檀信徒宅へ訪問しての読経など、僧侶は、日常的にスピリチュアルケア、グリーフケアを行っており、在宅において訪問看護師・訪問介護員とはすぐにでも連携できます。また、病院内などでは、亡くなった患者さんを看取った看護師の心をケアするリエゾンナース的な役割も担えるはずです。また、僧侶の中でも臨床宗教師や臨床仏教師など医療施設内でのふるまい、活動を学んできている有資格者であれば、緩和ケア病棟や地域でチャプレンとして活動が可能です。デスカンファレンスのオブザーバーとしても、慈悲に満ちた言葉かけが期待できます。 寺院が運営する大阪の訪問看護ステーションでは、僧侶がチャプレンとして訪問先に出向いて行っています。全国では、病院(緩和ケア病棟など)や訪問診療を行うクリニックが必要性を感じて僧侶(臨床宗教師)を雇用している事例もあります。在宅チームの一員としての僧侶の存在は、在宅患者から「私って死んだらどうなるの」などの死生観を求められる質問や会話に対応が可能となり、スピリチュアルケアにつながり、質の高い看取りが実現できます。連携メンバーの一員としての僧侶は、終生期のケアにおいて、心強い存在になるはずです。


3.寺院機能の可能性

ろうそくの火

はじめに申し上げましたが、大阪府看護協会は、令和2年度から大阪市天王寺区の寺院を「まちの保健室」として活動しています。加えて、令和3年度は、鹿児島県看護協会においても同様にお寺を会場とした「まちの保健室」が開催されました。地域に根差しているお寺に看護師が入ることで地域に「保健室機能」を持たせられるのです。地域包括ケアシステムにおいては、地域住民が、「集まり、語る場」が絶対必要です。多くの自治体が介護予防の観点でイベントを開催していますが、高齢者のひきこもりや孤立化を防ぐねらいにおいても、寺院はその「場」としても適していると考えます。

近年よく聞く言葉として、社会的処方という言葉があります。「社会的処方」とは、患者の非医療的ニーズに目を向け、地域における多様な活動や文化サークルをマッチングさせることにより、患者が自律的に生きていけるように支援するとともに、ケアの持続性を高める仕組みのこと言います。病気の長期化を防ぎ、健康を取り戻してもらおうという取り組みで、すでにイギリスなどで導入され一定の効果があると報告されています。寺院は、まさに社会的処方の「場」としての意義もあると考えます。以前、ACPについてヒアリングをしている際、本当の想いを家族には遠慮が勝って言えないことも、お坊さんや仏様の前だと素直になれて言えそう、という声がありました。公民館とは違って、寺院は、「空間」としての価値が大きいのです。

これからの寺院は、地域包括ケアの一翼を担い、地域住民の駆け込み寺として、また、コミュニティの場として、また医療者と地域住民が集い、語り、ともに学べる場としての期待が寄せられます。私は、地域の寺院を看護師と僧侶が連携し、協働する場として「地域包括ケア寺院」として命名し、その役割発揮を期待しています。この可能性を実現するためには、看護管理者・介護専門職者の皆さんの理解と参画が欠かせません。ぜひとも、皆さまのお力をお借りし、「看仏連携」を、展開して参りたいと切に願います。